ベアトリーチェ ウッドを記念して

ビートとの最後の昼食:

ベアトリーチェ ウッドは他界しましたが、私の心の中で彼女は生きています。彼女と知り合ったのは数年前ですが、私と彼女の間に強力な共通分野がありました。それは二人共、上薬のラスター(金属性の光彩)の追求にとりつかれていたからです。ラスターの小さなグループです。会員権を得るには達成し難い洞察力と、長年に渡る贅沢で危険な悲痛感と幸福感が必要です。それは魔法の光の色の手に委ねられているのです。

皆さんのように私もオハイ市(カルフォルニア州)の有名な青いソファに座って時間を過ごしていました。その時、とても気が合う夫のマービンの誘惑にあったのです。つまり、彼は私を楽しませてくれたり、非難したり、憤慨させたり、脅かしたりしたのでした。そんな中でもとても幸運な特権に恵まれたのです。それは、忘れもしない1996年の第一回ベアトリーチェ ウッド アトリエ 講習会(First Annual Beatrice Wood Studio Workshop)の最中に、彼女のアトリエ中を数日間自由に出入りできたのです。私たち三人の他に、ビート(ベアトリーチェのニックネーム)のマネージャーのデビット バンギルダーの四人で、図書館やかま、キッチンを自由に出入りし、疲れた時にはソファにくずれ、その上いつもビートが傍にいました。当時、車椅子を使用していたビートですが、いつも試みのかまを最初に開けるのは彼女でした。

テラスでの菜食ランチは、数時間続きました。ビートの話しは、いつも現在の話しに戻りました。もちろん、ビートには突飛で面白い過去がありましたが、説明しているうちに、いつの間にか現在の話しになっていました。(彼女の反戦争解決法は、男性の攻撃的な本質を取り除くために、一人一人に妾を与えてしつけるということでした。)

彼女は工芸の仕事に於いては、とても粘り強くかつ謙遜であり、そのうえ非凡な芸術家、工芸家として顕著な人生を歩んだ職人というように私は、記憶しています。昔話しの語り上手な反面、炉焼きの度にメモを取り、まだ何かがあるのでは、という興味心のある大胆な職人魂を持っていました。

彼女が他界する数日前に、ありがとうを伝えるカードを受取ました。その中で彼女は次のように言っています。「見事なタイルに授かるために105歳まで生きてきて、とても感謝しています。16歳になったら皆死ぬべきと思っていたのですが、このタイルに出会って違った見地を持ち始めました。タイルのたくさんの異なった表面をもっと勉強したいと思います。正式には、私は32歳なんだと主張したいのですが、非公式にもう一つの年齢を認めます、ということを伝えてこの手紙を終えたいと思います。」

-ゲール マッカーシー 月刊セラミックス

精選図書:

I Shock Myself. The Autobiography of Beatrice Wood (1998; 1992)

Playing Chess With the Heart: Beatrice Wood at 100. Photographs by Marlene Wallace (1994)

California Herb Cookery From the Ranch House Restaurant Ed. Alan Hooker. Illustrations by Beatrice Wood (1996)

Beatrice Wood: A Centnnial Tribute. Ed. F. S. Nauman (1997)